生活水準と幸福度の関係は? 生活レベルを下げれば幸せになる法則

生活水準と幸福度の関係は反比例するという個人的な原則について解説します。一般的に、生活水準が上がれば上がるほど、幸福度の指数は上がると考えられています。

ところが、実際によくよく考えてみると、生活水準が上がれば、それだけ幸福度が上がらず、あわよくば幸福度が下がっていくことになっているという現実を感じたことはないでしょうか?

ミニマリストが流行る社会現象の背景

最近は、ミニマリストという現象が世の中に普及し始めていますね。ミニマリストとは、下記のようなことを言います。

持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人。自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方で、大量生産・大量消費の現代社会において、新しく生まれたライフスタイルである。

高度経済成長期には、家電商品を中心に便利なモノや生活を快適にする商品を購入することで、生活水準が上がり、それに応じて生活に対する幸福度が上がってきました。

そして、経済成長の成熟期に至った現代では、もやはほとんどの家庭で日常生活で必要なモノは全て手に入ってしまい、人々の心を満たす商品が生まれることは少なくなりました。

そんため、身の回りの日常生活に必要でないモノや過去の嗜好品などが人々の心の負担になり、大量生産・大量消費時代の考え方に逆回転が掛かり始めたというのがミニマリストの本音ではないでしょうか。

必要最低限のモノしか必要ない、将来必要なものかもしれないがそれを持ち続けると心の負担になると考えることさえあるのではないでしょうか。そのため、必要最低限のモノ以外は処分するという流れになります。

生活水準とは何でしょうか?

生活水準とは何でしょうか? 何となく分かったように感じていた生活水準という言葉も自問自答してみると、他人に説明できるほどには理解できていないことに気が付きます。

  • マイホーム
  • 子供の教育
  • 家電製品
  • デジタル家電
  • 旅行、レジャー、余暇
  • 外食

ざっと頭に浮かんだことを挙げてみると、上記の様なモノやコトくらいです。そして、更に突っ込んで深く考えてみると、それは全てにおいて、絶対的な判断水準ではなく、相対的な判断水準であることに気が付きます。

つまり、お隣さんと比べて、友人や知人の生活と比べて、日本全国の平均と比べて、・・・自分はどのレベルになるのかという相対指標で無意識に判断して、生活水準を考えています。

本質的に、必要なモノなのか、本当に必要なコトなのか、という個々人の絶対指標で判断して、生活水準を考えていることは皆無でしょう。

幸福度とは何でしょうか?

幸福度とは何でしょうか? この言葉も人に説明することが出来るほど理解できていないことに気が付きます。

日常生活の中で幸福だと感じることはどんな時でしょうか? 自分の過去を振り返って幸福だと感じられていますか?

幸福度についても、絶対的に幸せを感じているのではなく、他の人と比べて、他の社会と比べて、他の国と比べて、相対的に幸福だと感じているに過ぎないことが分かります。

得てして、幸福だと感じることは自分が病気になった時に、健康であることの幸せを感じ、他人が交通事故などの災難や不幸に遭った時に、他人の不幸に対して自分が不幸ではないという意味で幸せを感じることはあるでしょう。

やはり、幸福度も個々人の現在の自分の状況に対して、絶対的な指標によって決められるものではなく、他の人や他の社会、あるいは過去の生活と現在の生活と比べて、幸福を感じているため、相対的に判断して幸福度を計っているに過ぎないのでしょう。

生活水準と幸福度の比例相関関係のウソ

一般的に、上記で考えたような生活水準が高ければ、上記で述べたような相対的幸福度が上がると考えられています。実際、新築のマイホームを購入して、新しい新居の生活が始まれば、幸せを感じることでしょう。

一方、マイホームを購入するためには購入費用が掛かっているため、それに対応した損失した機会も存在するわけです。もし、ローンで家を購入した場合は、30年以上のマイホームローンを組んでいなければ、得られた機会(利益)もあるはずです。(機会損失)

生活水準を考える際、私の頭に浮かんだ上記の例のような生活水準を計るモノやコトの全てのことに機会損失の考え方を当てはめてみると・・・。

極端な例ですが、もし上記の機会を得ることを全て放棄したとしたら、より多くの自由な時間を得られ、より少ない労力で生活することが可能になるということでしょう。

そう考えると、絶対的な幸福度をどのように考え、何を幸せと感じるかにより、生活水準は変わってくると考えられますね。つまり、個々人の幸福度が決まらなければ、生活水準の立ち位置も決まらないわけです。

生活水準と幸福度が比例すると考えている方は相対的に幸福度を考えているのに対して、相関しないと考えている方は絶対的な個人の考え方(指標)によって幸福度を考えているのでしょう。この場合は、必ずしも生活水準と幸福度は正比例の相関関係にはなりませんね。

生活水準&幸福度の相関レール上のラットレース

意外にも、常識だと感じていたことに対して、一旦立ち止まって考えてみましょう。生活水準を上げれば幸福になるという常識を「是」としている方にとっては、何時まで経っても上には上があるため、幸福度に満足することはなく、現状に対して不満を抱えて生活水準を上げることをしようとするでしょう。

例えば、少し古くなった車や家電商品は、モデルチェンジの車や新機能の付与された家電商品に買い換えるかもしれません。あるいは、友人が毎年1回、海外旅行へ行っていれば、自分も海外旅行へ行きたくなり、毎年2回は海外旅行へ行きたくなるかもしれません。

そして、相対的な生活水準を上げることで幸福度が上がるというラットレースは永遠に続くことになり、いつしか幸福度が上がるどころか、生活水準が上げられなくなった時には、不満だけを感じることになるのです。

毎年発表されている世界幸福度ランキングなどで、日本は経済的には世界のトップクラスでありながら、いつまでもランキングが低く、国民の幸福度が低いのは、生活水準と幸福度の相関関係という「常識」の檻の中でラットレースを強いられていることも大きな要因ではないでしょうか。

あなたは何を幸せだと感じますか?

一度、今まで常識だと考えられてきた檻の中から出て、自分にとっての絶対的な幸福とは何かを考えてみてはいかがでしょうか?

私はサラリーマンを辞め、自分でビジネスを始め、その頃から真の幸福とは何かということをよく考えるようになりました。

高層ビルの億ションに新居を構え、高級車を乗り回して、年に何回も海外旅行に言っていたら、幸福度は上がるでしょうか? 人間とは不思議なもので、欲しいものを一旦手に入れると、更にそれ以上のものが欲しくなり、その繰り返しのサイクルが回転し始めることがあります。

例えば、投資をしているしている方は、投資で資産が膨れ上がれば膨れ上がるほど、更に大きな資産を築きたくなるのは典型的な例でしょう。そして、投資で資産が減った場合は、減らした資産を元に戻すために取り戻したくなる心理とよく似ています。

人間の欲求は、他社との比較や過去と現在との比較などのように相対的なモノの見方により、欲求がコントロールされているようです。実際には、それ程多くのお金や高級な車など日常生活を送るには必要のないモノであっても・・・。

本質的には、実際に幸せに生きていくために、本当に必要なものとはごく限られたものであることに気が付くのは、モノを失った時か減らした時のように感じます。そして、実際には幸せとモノとの相関関係は低く、幸せと相関関係が高いのは、健康や人間関係や自由な時間などの自分の心地よい環境を作っているコトの場合がほとんどだと気が付くのです。

生活レベルを下げると幸福度が上がる不思議の要因とは?

生活レベルと上げると幸福度が上がるというのが常識かもしれません。その常識の檻から一旦出てみると、生活レベルを下げても、それ程には幸福度が下がらないということに気が付くはずです。そして更に言えば、生活レベルを下げることで、逆に幸福度が上がることも多々あります。

田舎暮らしで何も所有物がない状態から生活を始めると、住む場所を空き家など年間で数万円程度で確保して、食べる物も自宅周辺の畑で自家消費分だけを育て、必要最小限のお金だけを稼げば、その他の時間は全て自分がコントロールできる時間です。

このように、生活レベルを下げたつもりであるのに、実は生活環境は上がり、人間関係に悩むこともなくなり、ストレスからも開放され健康状態も良くなり・・・逆に生活レベルが上がり、幸せを感じることも多くなり、幸福度が上がるということも多くあります。

自分にとっての生活水準とは何か? 自分にとっての幸せとは何か?
ということをあまり深く考えてなかったことに、ようやく気が付くものです。

最後に、世界で最も幸せな国が、世界ではGDPも低く、経済的には弱者であるブータンは、世界幸福度ランキングでは日本よりもはるかに下のランキングで幸福度が低いとされています。

そのような評価をされているブータンが、世界で最も幸せな国と称されている理由は何でしょうか? 他の国がブータンという国を幸福と考えているかという指標ではなく、ブータン国民自身が幸福かどうかということに、その答えがありそうです。

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